やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(1)

 

 

 

Bさんに乳がんの診断を受けてから現在までの、いろいろな思いを語っていただきました。

 

今回、Bさんにご承諾をいただきシリーズにして掲載させていただきます。


1.やっぱりがんになっちゃった

 

 

1)おっぱいにえくぼができた

 

 平成◯年でした。なんとなくおっぱいがちょっとえくぼができたことに気づいて、これはおかしいということで病院を受診して、それで検査の結果がわかるのが年末になってしまったんですね。それで先生と相談して仕事の絡みとかもありましたから、一ヶ月くらいちょっと時間を置いても危険はないだろうかと、ちょっとそこが心配だったので早急に手術をしなければいけないなら、やっぱりどうにかしてしますけど。一ヶ月くらい間をおいてもいいですかっていう確認をしたら、まぁ君の場合は10年くらいかけて大きくなったと思うので、一ヶ月空いたからといってそんなにすぐに大きくなるとは思えないからきちんと片付けてからでいいからということで、年末に相談して2月◯日に手術を受けました。

 でも手術前って結構手術前検査とか、あと、自分の仕事の引継ぎとかね、やっておくことがいっぱいあってすごく忙しかったんですよね。

 

 

2)たまたま1年空いちゃって

 

 母が、母自体自身が57歳の時にスキルスがんで亡くなっていたんですよね。年齢も近くなってきているので自分も気を付けなきゃということもあったんですよね。やっぱりがん家系というか、もしかしたら自分もそういう事になるんじゃないかっていう漠然とした思いはあったので、ちょっと早かったなという気がしましたね、告知をされたときにはね。やっぱりがんになっちゃった、ちょっと早かったけどっていうところでありました。ただは母も毎年人間ドックを受けていて、わかったときは3ケ月という余命宣告だったので。

 

 でも私自身も人間ドックを毎年受けていて、たまたま1年空いちゃったんですよ。たまたま。マンモ受けてからも2年も経っていなかったんですよね、だからやっぱり、たまたまってよく聞くじゃないですか。たまたま1年、この1年抜けたときにがんが見つかって、私も大当たりだったんですよね。その年にたまたま受けなかったところで見つかったというところです。

 

 

(2)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(2)

2.家族にがんの報告

 

 

1) 手術内容をきちんと報告しなきゃ

 

 (がんと診断された時に相談したのは)家族ですね。相談っていうよりも報告ですね。娘は大学生で本州にいたので、ちょっとただ娘にはショックを考えるとどう伝えたらいいかって自分の中できちんと整理がつくまでは伝えられなくて、手術の内容をきちんと伝えなきゃっていうことを自分で考えました。だから相談というよりも報告で。

 すべてなんかそれに関しては私たちの夫婦関係に問題があって、やっぱりちょっと告知をされたということを伝えたのに、ちょうど年末で冬休みになっていつも実家に帰っちゃうんですよね、むこうが(夫が)。で、いつも一緒に帰ったりしてたんだけど、やっぱり帰っちゃったんですよ。

 

 

2) 一緒にいてほしかった告知後の1週間

 

 それで1週間、告知をされた次の日から一週間一人っきりだったんですよ。だからそれがいまだにちょっと課題として残っていて、それがやっぱりどっかでまだ思い出しちゃうんですよね。一緒にいてほしかった時期にね、一週間。他の時だった全然いいですけど、その大事な自分にとってすごく怖かったし、不安だったし、どうしていいかわからない。一週間にいなかった事実っていまだに忘れられなくて、ちょっとたまにこいつ!とか、いなかったくせにとか。

 やっぱり他の人がむこうに帰っているからお姉さんたちに、あれ?Dちゃんどうしたの?とか言われて、仕事もあったのでそれでいいんだけど、後になって自分ががんだってことをお姉さんたちが分かってからは、なんで一緒にいて上げなかったの!冷たい人ねって怒られてたんです。だって、行っていいって言ったでしょって私に返してから、いてほしいって言ってくれなかったらいてくれないのかなってちょっとね、思いましたよね。

 でもよくドラマとかではね、妻ががんになったらね、みんなで盛り立ててて、うちは違うわって思いましたね。ちょっとそれがね、その後の夫婦関係の中で、自分の中の課題になっちゃったんですね。これちょっと最後にまたお伝えしますけど。ちょっと課題として残っています。

 

 

3) もっとオーバーに言えばよかったかな

 

 (夫は病気の重さを認識)してなかったですね。私自体が割とそんなにメソメソして伝えてなくて、やっぱり乳がんだったと。ちょっと2個、こっちとこっちに2個見つかっちゃったって。その時点でステージはそんなに詳しくはわからなくて、やっぱり手術をしなくちゃいけないくらいしか伝えてないですよね。

 ちょっと気を遣いすぎましたね、もっとオーバーに言っておけばよかったのかなって思いました。

 

 

(3)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(3)

3.もしかしてこれは夢かな

 

 (告知後は)やっぱり先生に言われた瞬間まわりに色が無くなるということがよくあるじゃないですか。色もなくなって、先生が口だけが動いているみたいだけど、音が入っていかない。映像にしたらそんな感じ。

 

 だから色々あとで書類を見ると、先生色々説明してくれてたんですよ。でも全然覚えてないです。ぜんぜん、言われたことが。ただ手術の日は決めたなと覚えてたんだけど、次の受診日をどうにか決めて、お家に帰った感じ。やっぱり現実味がなかったです。だから色が消えちゃって、あれ? 今先生なんていったんだろうって感じですよね。私にがんっていったかしらとか、なんかショックの前に認められない自分がいて、だからもしかしてこれ夢かなとか、今度行ったら違ってたよ、よかったねって言われるんじゃないかとか。

 

 

(4)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(4)

4.来年はもういないかもしれない

 

 (夢かなと思いたい)けど、やっぱり現実なんだってことを認めなくちゃいけないじゃないですか。そしたらだんだん一人の時間だったらすごく怖かったんですよね、この一週間。特にね、二つあるって言ったからちょっとまずいかなと思って。来年はもうないかもしれないなとかね、勝手に思っちゃって。いやー今年で最後の年越しかもしれないな、一人かよとか思ってちょっと思いましたね。

 

 ちょっとお母さんから1回電話かかってきて、もう泣いているから出られないんですよ。能天気なんですよ、むこうも。Aちゃん元気かいとか、年越し一人にしてごめんねとかいっているけど、能天気すぎて出られないんですね。で、言えないじゃないですか、能天気にみんなで楽しくやっているのに実はがんでって言えないし、もういいやとか思って、そこら辺はもうしゃーないわって。もうお母さんにいうのよそうとか思って。高齢なんでね。別に知らなくてもL市とM町の方に住んでいるので知らないなら知らない方がいいと思ったんで、言わないでいいよとは言っといたんですよね。

 

 

(5)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(5)

5.がんのことを周囲に伝える

 

 

1) 冷静に対応してくれた友人とうろたえた友人

 

 年が明けて、まず仕事のことをどうにかしようということで、ずっと仕事をした上司にあたる人なんですけど、友人でもあるんですが、看護師さん、医療系の人だったので、きちんと伝えて自分の状況を、検査結果とか持って行って、こういう感じなんだけどどう思いますかって言ったら、やっぱり1年きっちり休んで治療に専念しなさいと。ただ、その後ね、少しずつ体を治して復帰することも可能だからまず1年やめなさいと、仕事を。で、冷静に対応してくれたんですよ。すごく冷静に。で、いろんなことを教えてくれたりとか、これからこんなことがあるよとか、免疫に良い飲み物とか教えてくれたりで、もう友達としてもすごく心強くて。その人とはいまだに頼りにしています。だから病気のこともその人が一番相談にのってもらいました。とても心強い。やっぱり医療職の方が友達でいるとすごい心強い。それで、なんていうか、気持ち的に出さないじゃないですか。

 対照的なのが6歳上の友達なんですよね。その二人がすごい仲良かったので一応二人には言わなくちゃと思って。その年上の友達に言ったときめちゃくちゃショックを受けちゃって、なんかうろたえているんですよ、友達が。で、なんていうの?目が泳いじゃっているというか、どうしていいかわからないというか、自分より年下の私ががんになっちゃったということで、ショックが大きくて。まずかったなとか、言わなきゃよかったって。逆に大丈夫、大丈夫初期だからって、逆に私が慰めるシーンがあって。これその時に、これ変に友達に言わない方がいいかなとか。

 

2) 家族以外には伝えないと決める

 

 仲がいいほど私のことを心配してくれるので、この人のショックの大きさを見たら、ちょっと私もフォローできない。逆になんか、ああ、そうだったんだ、でもちゃんと手術するんだよとかね、いうんだったらいいけど、本当に言葉が出なくて本当に泣きそうな感じだったので、ちょっとダメだっていう気持ちになっちゃいました。それからその後は家族以外には伝えないって決めたんです、ばっちり。

 

 

3) やっぱり伝えていかないといけない

 

(家族以外には伝えないと決めたけれど、その後)変わりました。きっかけはですね、がんサロンに出るようになったことが大きいと思います。あと時間が9年経ったということもあるし、サロンに出ているとやっぱり皆さんがんのことを隠してないんですよね。で、ちゃんと言って理解してもらって、自分の気持ちも伝えて辛い時は辛いとか、やっぱりそういうのはちゃんと伝えていかないとならないなって。私、多分今すぐは死なないだろうっていうのが前提にあって、多分私は1年くらい先のことは見通しがつくから、全然今、元気だからね、なれるので。それは今は話しますね、いろんな場面。

 ただし相手によって言わない人もいます。やっぱり、耐えられないだろうなという人も中に入るので。

 

 

(6)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(6)

6.やっと患者会につながる

 (がんサロンに)一番最初に大学に来たのが、最初の手術をしたのが平成○年だったんですよ。平成○年のある日に、ある程度抗がん剤治療が始まってというところで、新聞にここでBさんがやる、リンパ浮腫のことを。そのことを、患者会がありますっていうのがあって、無料ですっていうのがあって。それがあの夫がね、あの冷たい夫が見つけて、こんなのやるみたいだよって。ちょっとは心配してくれたんですね、ちょっとは。私もそうなんだって、その時は全然患者同士でつながってなかったんで、本当に主治医の人と、病院の方たちと、その友達としか関わってないので。どうしようかな、どうしようかなとか思いながら、電話の前に置いておいたんです、新聞を。だけどね、3回くらいリリリって、ああダメだってね、3回くらいで。やっぱりって。もしもしって、あの、行ってもいいんですかって言ったら、どうぞどうぞって言ってくれて。

 

 電話をつなげるまではすごい何回も切ったりして、1か月くらいかかったかも、電話をつながるまで。

 

 

(7)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(7)

7.初めてのがんサロン

1) 怖い場所だと思っていた

 

 (患者会に電話することを躊躇したのは、)なんかね、私が行ってもいいんだろうかとかね。そこに行って逆につらくなっちゃうんじゃないかとか、そんな余計な心配ばかりして。行ったら病気のことをしゃべらされるんじゃないかって、変にね。なんか、怖い場所じゃないかなって勝手に思っていて。そう、イメージが湧かなかったですね、患者が集まるという。まだ、9年前くらいでサロンとかね、患者会ってなかったから。特に情報がないところでね。

 

 

2) そこでみんなと話が始まる

 

 (がんサロンの)会が始まる1時間くらい前には行って、C先生と話をして。で、私それで帰ろうと思ってたんですよ。大勢の人で嫌だなと思って。で、話をしているうちに集まってきて、みんなも初回だったので、初めての方、みんなも不安そうな顔をして、みんなも早く来て、私と同じ気持ちで早く来ていて。

 

 こんな感じで3人増え、4人増えして、じゃそのまま行きましょうかになったので。ちょっと早く行ったことで入りやすかったですね。同じように、心配で早く来ちゃったとか、私も何ですよとかそこで話が始まったのでそれは入りやすかったですね。

 

(8)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(8)

8.私もがんだから何かあったら聞いて

 

 (自分の病気のことは話せるようになるには)だいぶかかりましたよ。あの、そうですね、まだまだ治療中だったんでやっぱりだめで、5年過ぎてからですね、5年過ぎてやっとポートが先生がまだとれないって言ってたんですね、5年過ぎてもやっぱり再発とか一回入れちゃているからね、もうちょっと入れて置こうって。6年目くらいに、先生ちょっとここが痒いんですよねとか言って、「そろそろいいかな、今度の検査の時にOKが出たら取ってあげるよ」って。ポートが取れてからちょっと少し解放された気がして。

 

 それから委託事業とかありますよね。委託事業みんながん患者さんがほとんどなので、普通にがんの話をするじゃないですか、死ぬことでもなんでも。それがだんだん慣れてきて、それがC患者会でも私もがんなんだよとか、もっと重たい人もいるし、いろんな方がいることを知って。

私もやっぱりがんになった時にね。相談を受けられるようにね。もうちょっと私が発信してもいいのかなって。私、がんだから何かあったら聞いて、とかって軽い感じで。

 

 

(9)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(9)

9.気持ちを言葉にすること

 

 

1) 自分の気持ちと見つめ合う

 

 (話すことで変わったことが)あります。ここでやった書くことと話すことって、まとめて言おうかなって思ったんだけど、話すことと、書くことって自分の気持ちがだんだん整理されるんですよね。あと、自分の気持ちと見つめあえるんです。

 だからただ頭の中で漠然と不安だ不安だじゃなくて。じゃ、何が不安なのかなって、しゃべってみたり、書いてみると、これは大変ね、これは大したことないなとか、意外とわかってきますね。

 

 

2) 気持ちが整理されていく

 

 (話すことと書くことで、)ちゃんと整理されていくのがとても感じられて、だから書くことに参加できたことってとてもよかったんですよね、私の中ではね。

 自分の気持ちを言葉にするということですね。話すことの言葉とか、書く時の言葉とか、言葉にしてみたら意外とどこら辺が一番きつかったかなっていうことが分かってきて、こっちは別にいいやって、ちょっとそぎ落とせるような感じで。じゃ、これに対して私はどうしたらいいのかなって整理されて行きますね。

 

 

3) 私の歴史が残っていく

 

 時々ですけど。今回もですが、こういうインタビュー受けるにあたって自分のその時のことを整理したりするじゃないですか。で、パソコンにちょっと取っておいて、まえは委託事業の時に報告会の時に書いた文書とかサロンの時の文書を読むと、また今の自分と違う気持ちがそこに盛り込まれていて。私、この時の気持ち忘れてるなとか、ピアサポートを初めてするにあたってどんなことを気をつけていたとか。

 そこら辺、例えば机の並べ方とか、椅子の並べ方でも目線が合わないようにしているとか。最初の時ってそういうところもね、気にしてピアサポートの場にあたっていて。Dさんと一緒にどういう環境を作ったらいいのかねって、そこら辺から始まっていて。だから、私の遍歴が残っていく、気持ちの遍歴でもあるし、がんの歴史がある。

 

 

(10)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(10)

10.語り合いでお互いのパワーをもらい合う

 (書くことと語ることだと、)語り合う方がいいですね。

 

 書くことはやっぱり自分自身の気持ちの整理がすごくできるけど、話すことはやっぱりお互いが聞いて、話なので。お互い寄り添える心強さと、あとお互いのパワーを引き出せる。自分自身の力もだし、相手の力もどんどん大きくなってきているのも感じられて、たとえ厳しい状況でもとても前向きになっていく方もいるんですよね。だから、そういうのも体験して自分自身もパワーもらえるし、相手ももらったわって言ってくれると自分の支えになっていくのが分かりますね。そこが大きな力。

 

 

(11)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(11)

11.がんサロンの難しいところと良いところ

 

 

1) 継続していくためのバトンタッチ

 

 (サロンの)難しさは継続していくこと。やっぱりC患者会で継続していかなきゃ絶対にダメだっていうことを体験しているので、それは場所で会ったり、運営している人であったりしますよね。だからやっぱりがんの人ってずっとできないですよね、がんだけじゃないけれども。やっぱり次の人にバトンタッチしなきゃいけないので、そういう人を探すのはこれからEサロンでの課題でもあると思うんですけど、そういったところが一番ですよね。継続していくためにそういうやってくれる人がずっと続けて、見つけなきゃいけないところがありますよね。

 

 

2) 居心地の良い場所

 

 いいと思うのは先ほど言ったお互いの力を引き出しあいたいとか、聞くだけの日もあれば、でもそばにいるよって。ここにね、そばにいるよっていてくれるだけでやっぱり自分の中でとても心強いんですよね。だから居心地の良い場所づくりっていうのをすごく気にするのは、別に私たちはアドバイスもできないし、指示とかもできないけれども、聞くことは、寄り添ってきく。そういうことはできるよってわかってもらえたらすごいうれしいですよね。

 

 

3) ここに来て笑えた、また来るね

 

 ちょっとだけね、笑えたわとか、ここに来て笑えたわって、また来るねって。そういってもらえるとすごくうれしいですよね。

 だからずっと暗い話だとみんなはダメなんです。いっぱい(暗い話を)するけれども、また帰り際には盛り上がってね。ブラックジョークみたいな感じでね、ときどき。

 

4) 仲間作りも難しい

 

 (がんサロンの難しさは継続することと、)あと仲間作りですよね、仲間作りか。

 たまたま今ね、FさんとGさんがいてくれるんですけどね。それぞれの個性の良いところをね。だけど、これで人が増えたときに、またどう動いていくかがね。そこが心配事。

 

 

(12)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(12)

12.予期悲嘆という言葉

 

 

1) あまり先のことを考えない

 

(3年後とか5年後とか、)それはね、あまり気にしない。私の中で予期悲嘆はしないようにしているんです。だからあまり先のことを考えたらやれないですからね。

 だからがんになった頃は、もう一年後は生きてないんじゃないかとか、抗がん剤が効かなかったらとか、もう起こってないことを先走って、心配していて。髪の毛生えてこないんじゃないかとか。あまりそんなことしてたら楽しくなくなっちゃって、辛くなっちゃって、起こった時に考えようって。

 ただ対策は立てておく。もしこうなったら、ちょっとこういう風にしておこうとか、そこら辺はちょっと考えておくけども。あまりそんな先のね、起こってもいないことを悲しんだりとかね、してもしょうがないかなって、やっと思えるように(なった)。

 

 

2) 起こってないことを心配し過ぎていた

 

 この(予期悲嘆という)言葉自身も知らなかったというか、その起こっていないことを。悲しくなるなんて。だからそうなんだって。その言葉いつも自分がね、いつも落ち込む理由、これだなと思って。先を心配し過ぎて。先の不幸を、起こってもいない。

 

 

(13)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(13)

13.また1年頑張るぞ

 

 

(病気をしたことで、)家族以外ほとんど言ってないので、(周囲の人は)ほとんど(変わらない)。そうですね。変わらないですね。家族はね。ちょっと心配して娘はご利益のあるお札をもらってきてくれたり。それね、熱海にあるパワースポットなんですよね。最初の3年くらいはもらってきてもらってたんだけど、それじゃ、ちょっと元気になってきたからお礼に行きたいと、娘と一緒に2回くらい行って。

 

 今は一人でお礼に行って、また新しいお札を熱海まで。なるべく毎年行きたいと思っているんですけど、今年も4月に行ってきたんですね。今月の初めに。また来られたことに感謝しますってしてこられて、またお札を収めてまた新しいの。

 

 そこに楠があるんですよ。一周すると1年寿命が延びるんですよ。はじめて行ったときに3周ぐらいしたらするとそんなに回ったらだめだよって娘に言われて。今は1周で、あまり欲をかかないで1周で。

 

 でも自分の中でここに来たらパワーがもらえるというのが、自分自身がそう思っているので、それはそのまま信じて。ああ、来られたまた1年頑張るぞって言って1周するんです。

 

 

(14)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(14)

14.気持ちを相手に伝える

 

 

1) やっぱり言わなきゃわからない

 

 娘は普段冷たいけど、離れてるからね。あと、言うようになったんですね。自分の気持ちを言わなきゃだめだっていうのにだんだん気づいてきて。結構私、言わなかったです。夫に対しても、嫌なこと。例えば新聞をトイレで読んでるとかね。そんな小さなことも言えない自分だったんだけど、やっぱり言わなきゃわかんないって思って。

 今では、そんなにきついことを言われたら傷ついちゃうなとか、そんなことを伝えたら気づいてないんですね。意外と気づいていないことに気づいて、何だったんだろうって。でも言わなきゃわからないですよね。

 

 

2) 冗談ぽく本音を伝えてみる

 

 伝えること。(伝え方も)あるかもしれないですよね。お腹空いているとき、言い方をとげのある言葉で言うと、とげのある言葉で帰ってくるじゃないですか。ちょっと冗談ぽく本音を言うと受け入れてくれる。時々とげのある言葉でいうとバーンとかえってきちゃうんですよ。だって言ったじゃないって。やっぱりたまに失敗します。(そういう時には)ちょっとインターバルおいて。

 

 

(15)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(15)

15.生きている間はしっかり生き抜く

 (今心がけていることは、)そうですね、がんになってから。がん自体がね、自分どう向き合っていくか、どう向き合っていくかすごく試されているなって感じることがあって。それは自分自身がどう生きていくんだという問いだと思うんですよね。だから今、自分生きているので、生きている間はしっかりと生き抜こうと、そういう気持ちになっています。

 

 それと、さっきの書いたり話したりもありますが、自分が辛かったら、ああ辛いんだ、で、自分の気持ちを素直に受け入れる。悪い時もよい時も。それをしないで辛い思いが残っていたら、よけい辛くて、立ち直れなくなっちゃうので。ちょっとやっぱり気持ちがすごく落ち込んで、鬱っぽくなるじゃないですか。がん患者さんって。人と話すのも嫌になったりとか。でもこれ、私じゃないからって思うんですね。こういう鬱々した自分って私じゃないって思うので、やっぱりだめだ、ちゃんと伝えようと。なるべく心掛けている。家族間ではやっているけど、友人関係ではね、あまり言えないところもありますよね。

 

 

(16)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(16)

16.毎年目標を立てて実行する

 この数年、毎年初めに今年は何をやろう、ちっちゃいことでいいんですね、ある年にはトマトを育てようとかね。そんな感じで小さい事でいいんですけど、目標を何個か立てていて実行するようにしています。ただ立てるだけじゃなくて、そうすると自分自身も自信が付いてきて、やればできるじゃん、やったねって。で、年末今年の目標なにってね、やれたね、頑張ったねっていう感じで力になってますね。

 

 きれいごとしか言ってないからかもしれないですけど。(書くこと話すことに参加して)何か、きっかけには私の中ではね、前に進むためのきっかけにはなっていたと思います。

 

 

(17)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(17)

17.患者会での自分の役割

 H患者会で私は連絡係の役目があるなと思って、だからH患者会の皆さんの声も持って行くし、こっちの情報もちゃんと伝えたほうがいいかなっていう思いもあるから。本当はもっと医療職の方とかみんなもね、交流してね、いろんな意見を出し合えたらいいんですけど。患者連絡会はそのきっかけになっているので。

 

 そんなに大変なことは無いので、他にも出席できる人がいたらお願いできたら助かります。

 

 

(18)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(18)

18.がん患者が力をつけて声を届ける

 患者会が集まったというのはすごくやっぱり北海道としては大きいことで、これだけ力を付けていかないとだめだよって、D病院の院長先生なりが言ってくださって。だから、自分たちも勉強しなきゃだよねっていうことで、一杯勉強会をしたりとかしています。

 

 あとは、あれですよね。道庁とかにも行ったりとかして、2人くらいずつ交代で行って、そういう会議の時にどんな話をして、だれがどんな発言をしてるのかとか。で、喫煙率ね、下げてって言っているのに、議員さんがあんまりいい顔しないとかね。いろんなしがらみもあるから。どんどんね、大人の世界ですね。

 

 でもちょっとずつでもね。いい方向に患者さんの声も、だから最初もがんに対する会議なのに患者がいないという時期があったじゃないですか。それじゃおかしいだろう。がん患者がいないのにがんのことを語っても全然よくないでしょっていうことで、今はがん患者も参加できるような形になってきているんで。それから少しずづだけど進んでます。少しずつですけどね。

 

 

(19)へつづく

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(19)

19.実弟にも言えてない

 いつも娘に、今日は(実弟に)言った方がいいよって。弟の家に泊まりに行ったりしたときに。今日は言いなよ、言いなよ、ウン。いうきっかけが、いろんな話したいことがあって、今更だしなって思って、今日になってしまいました。

 

 弟の方がショックを受けて、やっぱり母親が亡くなっているから。だんだん似てきたんですって、顔が。だから弟は私を母のような、母を見る目で見てくる。「アネキさぁ」って話しかけてきても。

 

 (伝えているのは夫と娘だけど、)ただ、夫の方の兄弟は保証人になったりしてもらったりとか。あとお兄さんに保証人になってもらったんで、お兄さんがお母さんにしゃべっちゃったりとか。だから、知られちゃってるけど、それはそれでいいやって思って。

 

 

(20)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(20)

20.サロンに来た方への配慮

1)  無理強いしないで、その人のペースで

 

 

(サロンに来て話せない人への配慮は、)そうですね、あの、遠くから話を持って行きます。

 遠くから、雑談から。いきなりがんの話をしないで少し信頼関係を持ってもらわないと話してもらえないじゃないですか。

 だからそこは、1回目2回目は、全然がんの話をしないでただ聞いて。 

 今日は皆さんの話を聞きに来ましたってはっきり言う方もいるんですよね。

 でも、お話しているうちにやっぱり自分のことを話されるんですよ。

 だからそこは無理強いしないでその人のペースに合わせて、ちょっとずつちょっとずつ。

 だから黙ってたら、今日はこのお菓子がおいしそうなんだよとかって、そんな感じで。

 だから本当に無理強いをしてないことですかね。気にしていることは。

 そう、だから下手したら洋服の話から始める。ああ素敵な洋服ですねとか。

 

 

2)「帰った後つらくなかった?」と確認する

 

 やっぱり信頼されないと、深い話になったらこの人にしゃべっちゃったら、なんかあとからね、不利益がおきるんじゃないかとか、話したことで落ち込む方がたまにいるんですよ。いっぱいしゃべったことで。だから次に来た時に、帰った後辛くなかった?とかっていうのをちょっと確認させてもらって。

 だから自分も気持ちがハイになっていっぱいしゃべっちゃって、なんか帰り道、あんなことしゃべんなきゃよかったとか、そういう経験をしたことがあるので。だからそういうのが無かったですかとかってちょっと確認させてもらって。私の場合(の配慮)はサラッとですよ、サラッと。

 

 

(21)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(21)前編

21.がんサロンでつながる (その1)

1)つながってここに来てくれる

 

 やっぱりIさんのヨガからつながってここに来ている方が。ちょうどFさんがちょうどIさんヨガの日が担当だったので、Fさんがやっているから行くわっていうかたが結構いらしていているんです。で、Iさんもあそこでやっているよって言ってくれて。

 本当に2~3月に1回来る方もいればね。ずっときてくれる方もいる。あと時間が終わるくらいに来る方もいる。

 

 

2)一番不安な時期につながりたい

 

(病気を告げられて間もない人が来ることは)ないですね。(そういう時期にサロンを)知るすべがないというか。そういう方、本当は告知をされたときとか、手術の前後とかね。一番大事な時期、不安な時期につながりたいんですけど。だから、口コミでEサロンっていうところがあるよっていうのは、少しずつね。ただそれは、1対1の対応かなとか、色々対応がまた違ってくるかもしれないけど。Eサロンにたどり着けない。そこが問題。

 

 

(21)の後編へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(21)後編

21.がんサロンでつながる (その2)

3) 告知の時に病院で伝えてくれたら

 

 (病院からのがんサロンなどの情報提供をすることについて、)そうですね。ただね、その情報が、その時期に伝えてみるかどうかなんです。D病院にもがん患者さんのチラシとか置いてるんですけど。なかなか余裕もないかもしれないですね。

 患者会のあるメンバーでそういうの(がんサロンの一覧)を作った方がいいからって、ちっちゃいのを作っているんですね。で、先生告知するときに渡してあげてとか、そういう形をとれないだろうかとか。

 

 

4) 一番辛い時につながるシステムがない

 

 一番辛い時にサポートする。それで今患者連絡会でも診察されたときから緩和ケアだというけど、実際(がんサロンに)つながっている人なんていないじゃないですか?って言ってるんですよね。どうやってつながっているかわからないし、だから本来だったら告知されるときに緩和ケアの看護師さんも同席してくれるとかね、なんかそういうシステムにない限りはなかなかつながらないですよね。

 

 

5) 病院職員もがん相談支援センターを知らない

 

 相談してくれる先生の場所もわからないという患者もいたから、今年はなんかそこも力を入れるそうです。告知するのに知ってもらうために相談支援センターが、まず病院の職員が知らない、そこの仕事の内容とか。それじゃおかしいですよね。去年がんサミットそういう話が出て、入りずらい相談支援センターもあったりとか、頑張っているのに病院内の他のスタッフが知らないっていうのがあるからもったいないですよね。みんな頑張っているのに、本当に。

 

 

6)あとで見返せるように情報を渡す

 

 (情報の提示は、)ただ、それをどういうかたちで渡せるかがこれからの課題ですね。作ったけれどもどうやっていこうかって。

 だからとりあえず渡せて鞄にしまってもらうところまで見届けてくれれば、あとできっとまたね、何かしらって見てくれるかもしれないんでね。

 

 

(22)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(22)

22.同じ仲間と同じ場所が大きな支えに

 

 (伝えたいことは)予期悲嘆はしないとか、チャレンジ精神を持って行くとか。あと、私は趣味のウクレレがあったので、それが最初の入院して退院して、もう1週間後にはウクレレサークルに行ってたんですよ。で、その仲間は私ががんってことを知らないから、だから普通に接するんですよね。ヤーヤーヤー、A来たかとか。で、ウクレレ弾いていると忘れられたんですよね。ちょっとぶつかっていたかったけど、そうですね、なんかそういう支えがあったのは大きいかもしれないですよね。

 場所で同じ仲間が前と同じように接している。すごく居心地がいい。私はがんだって忘れていられる。そこの時間はね。そういう場所があったっていうのが私にとっては大事なことですよね。(ウクレレでなくても)なんでもいいんですよね。韓流映画とかなんでもね、なんでもいいんだけどね。孫ちゃんでもいいし。声を大きくして(伝えたい)。

 

 

(23)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(23)

23.バランスをとって話す

 

1)がんの話をしない時

 

 もしかしたらね。Eサロンに来てくださる方で、やっぱり趣味の山登りの仲間がいるけど、でもその人達にもがんの話はしていないって。ああ、同じだなって思いましたね。

 やっぱり伝える人と分けて、全員に伝える必要はないし。自然と分けているんですね。

 

2)がんの話をしたい時と嫌な時

 

 以前と変わらない場所と病気になったことをそのまま出せる場所の両方が必要ですね。今すごい整理してくれてそう思います。両方がないとやっぱり壊れちゃう。バランスが取れなくなっちゃって、やっぱりがんの話もしたい時はいっぱいあるし、でも全然いやだわっていう時もあるし。

 場面転換できる時間が必要だね。一幕こっちだったけど、今度は場面転換。

 

 

(24)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(24)

24.家族との関係

 

 病気になったから家族の本当の関係が見えてきたりとか、病気になって見えてきたことも見えてきたり、自分の気持ちとかもね。病気になったからわかったこともあるみたいな、そうですね。

 

 

(25)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(25)

25.ホームページでつながる

 もしかしたらどことも関わってないけど、つながりたいと、そういう思いを持っている方もいるんじゃないかな。そういう人たちは結構ホームページ見ているんでね。目に留まってもらったら。言葉にしていただいたお陰で、なんかああそうだなって。サロンをやっていたけど自分で意識していないところでやっているわけで、すごくそうなんだって思いましたね。話すことで、この場にいる皆さんがそれぞれで整理されている。それでこっちにちゃんと伝わってきましたので、話したことの効果ってすごいありますよね。

 

 

(26)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(26)

26.家族に支えてもらえる人ばかりじゃないから

 ドラマとかで家族に支えられて本当にハッピーな家族の話はいっぱい出るけど、その方は全然夫とも離婚しちゃったりとか。本当に家族なんて支えになってくれてないから、そんな話を聞くと落ち込むという方もいたんですよね。だからね、幸せな最期を迎えられる人ばかりじゃなくて。でもね、そういう人をどう支えていけばいいか。

 

 私は支えてもらえる人なんていないと。でもここで話してくれているからね。でもそこは私たちが言うことじゃないから、ここで元気になったでしょって言えないし。

 

 だからその時に、そうだよな、家族に支えてもらえる人ばかりじゃないのかなって。一人暮らしの人もいれば、とっとと離婚していなくなっちゃう夫もいればね。いろんな方がいるので、そこはどうやってつないでいったらいいのかなって。それも課題ですね。

 

 

 

(27)へつづく。

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(27)

27.がんサロンを超えた問題

1)がんサロンと別なケア

 

 (がんサロンでは対応できない問題については)がんサロンだけじゃなくて、もうちょっと違う形のちゃんとしたケアが受けられないとだめなのかなって。(がんサロンでできることに限界が)ありますね。そこでそんな話をされてもね。だからその人もわかっていて、みんなの気持ちが楽しくなくなっちゃうからしないけどって、言ってましたね。

 (でも、)もしその方が話したいと思えばちゃんと対応しますしね。

 

 

2)ちょうどいい距離感を保つ

 

 (がんサロンを超えた問題については、)厳しいと思います。やっぱりがんサロンとかってある意味一線を引いておかないと自分がつぶれちゃうので。距離ですか、参加者との私の距離をある程度保っておかないと絶対につぶれちゃいますよね。そこのちょうどいい距離感、あまり入っていかないけどちゃんと寄り添うんだけど、そこがね。

 そこ間違っちゃうとつぶれちゃいますよね。長く続けるためにもね。

 

 

(28)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(28)前編

28.がんサロンとの出会い その1

1)がんと離れたい時期

 

(脱毛のため)帽子もかぶらなくなって、でも普通の生活に徐々に戻っていった頃に、なんかがんの話しなくていいやって思うようになって。自分もしばらく行かないでいたんですよね。で、医療ソーシャルワーカーのBさんからメールが来て、どう?元気にやっている?って。実はちょっと離れたい時期ですって返して、そういう時期が何年かあったんですよね。ちょっと離れたいなって。

 

 

2)また来てねと言わない

 

 Eサロンも(がんサロンと離れたいという)そういう事があっていいなと思って。来たくないときは来なくていいし、だからまた来てねっていう言葉はつけてないですね、いつも。

(実際に落ち着いてたらがんサロンに行かなくてもいいという気持ちに)なるし。私、別にがんに、がん患者じゃないしとかね。なんかちょっと忘れたいかなって。

 

 

(28)後編へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(28)後編

28.がんサロンとの出会い その2

3)そこにあることが大事

 

 それでいいのかなって思って。で、卒業宣言しても今度は私が力になってあげようって思えるかもしれないし。ただそこにあるということを伝えることが大事なので。

 だから、ここのがんサロンがなくなると聞いて慌ててって、それは嫌だとか。来始めて今に至る。自分が辞めてもやっぱりそこがあることが大事ですよね。そのため、継続が重要な役割だと、思います。

 

 

4)いろんな人に出会えた幸せ

 

 でもこうやって出会って私は幸せです。

 がんになってもね。全然外と関わらないで鬱々と暮らしている場面では、私はいろんな人に支えられて。本当に支えられ、支えあってっていうか、支えられてもらってるし、本当にいい出会いをしているので、すごい幸せ。

 

 

5)私もがんだけど大丈夫だから

 

 私は、ツイてるんだと思いますね。なんか結構、最初の入院の時、手術の時とか、最初の入院の時はショックが大きかったから、あまり余裕がなかったから。2回ちょっと、リンパに飛んでたんで、また手術して。その時にやっぱりがんなんだって言ったら、みんなもがんなんだ、がんなんだって。そこでサロンが始まるんです。大丈夫だから、私もそうだけど大丈夫だからって。

 

 

(29)へつづく

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(29)

29.入院中の語り合い

1) 患者同士で夜のおしゃべり

 

 結構(入院中は)みんなで夜ヒマだからおしゃべりして。なんかあれで、ああ患者同士でしゃべるってなんかいいなっていう経験しましたね、入院生活で。情報交換をしたりとか、そこで夫のことも話しましたし、そんなの離婚しちゃいなとかって、そうですよねって。それですごいすっきりしたのを覚えがあります。離婚しちゃいなって全員一致で言ってくれたの。だからあれがサロンの第1歩かなって。結構合宿みたいで面白かった。

 

 

2) ドラキュラ看護師登場

 

 (入院後に)辛いのは3日くらいなんですね。手術して3日くらいなんですよね。ドレーン付けたりして辛いけど、それ過ぎちゃうと、(情報共有)したりとか、あの看護師は採血が下手だとか。その人(看護師)が夜勤だとみんなが、ドラキュラが来るぞって。なんか楽しく。だからカーテン閉めちゃう人はもったいないなって。辛いんだろうなって思ってね。なかなかね、話に加われない人もね、いますからね。そんな感じ。

 

 

(30)へつづく。

 

やっぱりがんになっちゃった:乳がんの手術を受けたBさんの語りから(30)

30.夜は誰かに辛いよ~って話したくなる

 

 (がんサロンでは)やっぱり電話番号を教えてとかって言われることがあるんですよね。特にC患者会の時とか。でも、絶対に教えない。ここでC患者会の(連絡先)を教えるからねっていって。そこは申し訳ないけどっていうか、そこはわかってもらう。

 

 だからそういう人は結局かけてくる人だから、教えちゃった人が本当に大変になっているのを見ているんですよね。だからやっぱりそこら辺はいろんなサポートがあるけどね、まぁ夜まで電話を受けているサポートの仕方もあるけど。私も同じ考えなので(夜まで電話受けていたら自分がつぶれちゃうので)賛成できないなって言っちゃった。

 

 厳しいですよね。たまに夕べ2時間話したとかって言っている人がいるけど、それはしょうがないなって、自分が教えちゃったんだからとか、でも必要とされているのかなとか半分思ったりするときもあるんですよね。複数で関わってね。一本の電話をね。だからそういう(24時間対応してくれる)ところも必要ですよね。患者にとっては結構そういうところは必要なんですよね。みんな夜ね、誰かと話したくなるんですね。辛いよ~って。夜ね。でも徐々にシステム化されると思います。きっと。患者が声出してね。必要だから作ってくれってね。今年もがんサミットあるのでみんなの声を大きくして伝えたい。

 

 

-Bさんの語りは、この回で終了となります。Bさん ご協力ありがとうございました-